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2001/03/01 


1968年位まででしょうか。

市内通話は、何分かけても10円でした。
公衆電話は違ったかもしれない。
かけて、切るまでの間は無制限に会話が可能でした。
今の米国の市内電話と同じですね。

当時、電話の有る家はまだ少なく、自分の家はお店を営んでいたので 近所の人が電話を借りに来ます。
もちろん、黒い”ジーコッ、ジーーコッ”とダイヤルを回すタイプです。
電話の前に小さな箱を置いて有って、電話をかけ終わると10円を入れて、

「どうもありがとうございました。」

と言って帰えって行きます。
さすがに、かかってきた電話の取り次ぎはしていませんでした。

それが、1970年になる頃に、市内3分10円と言う料金体制になり 今までの様に”貸し電話”ができなくなりました。
しかし、客相手の商売なのでむやみに断ることができなかったので、 電話局から3分タイマーを買って(貰って?)電話の前に置いていました。
電話をかける前に、タイマーのダイヤルを3分のところ迄もっていって、 3分経つと”チリリンッ”と音がするものです。
3分以上話す人は、音が鳴った後、再度、タイマーのダイヤルを回すと言うことを 繰り換えしていました。
でも、両親達は、無頓着に対応していました。
電話を使用する人のモラルに任せていたようです。

覚えていますか。
今思えば、テレホーダイやISDNフレッツなど問題にならないような料金体制でし た。